環境の今昔

大切な物を根こそぎ持っていった地震の爪痕や不自由な生活の様子をテレビの画面で拝見していると 被災者の皆さんが従来の生活を取り戻す為に立ち向かう町作りや地域の復興の為に「絶対に負けるもんか!」と云う気力と希望を持って頂きたいと切に願うばかりです
終戦団塊の世代と云われる私がオホーツクの片田舎で過ごしていた時代の環境を振り返ってみると・・・
家屋はすき間風の入るマサブキ屋根の木造長屋
暖房はルンペン(石炭ストーブ)か薪ストーブ もちろん石油ストーブなんてある訳がない
料理の煮炊きはストーブか七輪に火鉢、プロパンガスにガスコンロはマダマダ先の話です
明かりは現在製造中止になっている20〜100ワットの白熱球
情報源は新聞にラジオ(NHK)一局のみ
夏は冷蔵庫が無いので肉や魚は母親が毎日買い物に出掛け冬の間は物置でカチンカチンに・・・
テレビ・冷蔵庫・洗濯機・掃除機などの家電製品を目にしたのは小学生の後半から中学生になってからの事でした
街には信号と電話ボックスは一つもなく電話があるのは役場に警察・消防署・郵便局・学校・農協と限られた一部の商店ダケでした
雨・風・雪の日も片道数キロの道を徒歩で通学
汽車とバスは三時間に一本程度走る各駅停車の鈍行のみ
水洗トイレの普及は昭和四十年代に入ってから 等などと思い出して数え上げればキリがありません
「時代が違うヨ」と云われてしまえば逸れまでですが不自由を感じたり周りを羨んだ記憶もなく周りの方々に支えられノビノビと快適に暮らしていたことは間違いのない事実です
今この恵まれた時代に身を委ねているオジサンに必要な事は我欲を捨てて不要な物の買い占めや備蓄などに走らず過去の田舎暮らしで身につけたハズの?質素で驕らない謙虚な生活を思い出す事なのかも知れません ネッ