お父さん

年金生活をしている私がお父さんと呼んでいた最後の一人が帰らぬ人となりお別れをしてきました。。。享年九十二歳
お父さんの実家は札幌近郊で代々 稲作をしていましたが昭和と云う時代の流れに乗り新港の開発やそれに伴う道路の拡張工事で母屋と水田を召し上げられてからは未経験のメロンや野菜等の栽培に取り組み昨年までは自らトラックのハンドルを握り畑に出向き 救急車で搬送される前日まで元気な姿を見せていたとの事でした

地域や農業に従事する仲間のリーダーとして愛されていたお父さんは農家の後継者不足の問題やら離農者と休耕地の増加問題・米と生乳を生業としている農家が組合から離れて独立している問題・そしてTPPの問題等 これから歩むべき農家の姿を危惧していましたが生前の口癖は・・・
「農家は建築家や芸術家と同じく個人で作物を作る作家だよ!」
「気まぐれなお天道様の都合で不作もあれば『豊作貧乏』って事もある」
補助金交付金の制度は何時まで続くのかナァ〜」
「畑は子育てと一緒で手間がかかるけど元気の源を作る場所だから愛おしいもんだヨッ!」

いつも淡々と語るお父さんの口調を懐かしく思い出しています。。。